岩手県の沿岸を北へ北へと向かう三陸鉄道の車窓からみた景色の素描。
はかり知れない海へ
海とともに生きる人々にとって、どこまでも続くはかり知れない大洋は、いつも優しく寄り添ってくれる友というよりは、克服すべき恐ろしい敵であったことの方が多かったようだ。

船乗りでもあったイギリスの作家、ジョゼフ・コンラッドは、その自伝的エッセイ『海の鏡』のなかで書いている。
計り知れない無情な海は、あてにならない恩恵を請い願う人びとに、己れの持っているものを何もあたえてはこなかった。大地と違い、忍耐と労苦という対価をどれほど払っても、海は征服できない。…広大な海は、山々、平原、砂漠そのものが愛されたようには、決して愛されたためしがなかった。
ジョウゼフ・コンラッド『海の思い出』(平凡社ライブラリー,1995年)
普段海から離れて生活している人、人工的に造成された湾の海しか見ることがない人には、このような意見をきくと単純に驚く。
太平洋に面した東北、岩手県の三陸海岸を訪れたとき、私にもそのような海に対する感情が少しわかったような気がした。
私はそこで海の真の姿を目にしたような気がしたのだ。
海、山、そしてまた海
三陸鉄道リアス線は岩手県の海岸沿い163kmをつなぐローカル線だ。
私が盛から久慈行きの列車に乗り込んだのは、2019年の4月。まだ全線が開通してまもない頃だった。

列車は海辺の街を通り過ぎて、北へ北へと進んでいく。車窓からは春の日を浴びた東北の景色が目に飛び込んでくる。
通過する列車に手を振る子どもの姿、池を優雅に泳ぐ白い鳥、大きな音に驚いて飛び立つ小鳥たち…。

そして、海。
しかしその海は、巨大な堤防に閉じ込められていて、時々キラリと視線を送ってよこす以外はほとんど押し黙っているように見えた。
その後には木々に覆われた山が続いた。山もまた、まるで海とともに瞑想に耽っているかのようだった。

リアス式海岸と海
列車が大沢橋梁に差しかかると、乗客が景色を楽しめるようにと、しばらくの間停車してくれる。
リアス式海岸を上から見ると凹凸がひたすら続く複雑な地形をしているが、ここは凹にあたる部分で、眼下には広々とした大海原が広がっている。

ごつごつとした岩場にとめどなく波が打ち寄せ、その度ごとに水が白く泡立つ。

その光景を目にした途端、私ははっと気づいた。
都会にいるとつい忘れてしまうが、これが海の本当の姿なのだ。それは美しくも荒々しいむき出しの自然そのもの有りようだ。
海の力
冒頭に述べたように、海とともに生きてきた人々にとって、海は常に親密な友というわけではなかった。
それにもかかわらず、海は長い歴史のなかで人間の役に立ってきた。そこから日々の糧が得られるだけでなく、最近の研究によれば、もっと別の効果もあるらしい。
自然環境と幸福度との関係性についてのある調査では、海辺にいるときの方が都会にいるときより6ポイントも幸福度が高いことが明らかになったという。
週に2回海岸を歩くだけでも身体と精神の健康に効果があるようだ。

人間と海とは切っても切れないつながりがある。生命の源、文明の揺りかごとして、いつも海は人類とともにあった。
私が車窓から見た三陸の海もまた、私たちを何世代にも渡って育んできたその海なのだ。
台風19号からの復興を願う
三陸鉄道リアス線は2019年10月の台風19号により大きな被害を受け、再び一部区間が不通となった。
12月現在、盛から釜石までは通常運行しているが、釜石~津軽石間、田老~久慈間はバスによる振替輸送を実施している。
三陸鉄道は復旧工事のための寄付も募っている。私もリアス線を応援したいと思い、この記事を書いた。